PERU編[3]
平成16年8月21日〜8月23日
テーマ曲:Waldir Azevedo "Delicado"(5.2Mbytes)
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ティティカカ湖(Lago Titicaca)

8月21日 ティティカカ湖

 朝、ツアーの迎えのバスに乗って、プーノの港へ。港にはたくさんの観光船が浮かんでいる。
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 朝八時、まずはウロス島(Isla Los Uros)へ向けて出港。
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 写真のように、日差しがめちゃくちゃ強かったです。サングラスなしでは、目が厳しいです。この強烈な日差しのため、ニューヨーク・マイアミ編のK井氏やフィジー編のM田氏と同様に、I井氏が顔にひどい日焼けをしてしまいました。
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 ウロス島に到着すると、見張り台のような建物があった。「高いところがあれば登る」をモットーにしているので、迷うことなく登ることにした。
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 見張り台から見た島の全景。実は、この島は、トトラといわれる葦の一種を積み重ねた「浮き島」だったりします。
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 トトラは食べられます。食べてみたけれども、何も味はしなかった。この写真は、I井氏のオリンパスのデジカメで撮影して頂いたものです。
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 トトラでできた舟に乗って、もう一つの浮島へも行きました。
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 ウロス島を後にし、次の目的地であるタキーレ島(Isla Taquile)へ向かいます。途中、トトラの迷路のようなところを進んで行く。
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 しばらくすると、トトラの迷路を抜け、海っぽい景色となりました。湖とはとても思えない。
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 観光船の船頭さんは、編み物(帽子のようなものだった)をしながら、背中で操舵をしていた。器用な人だ。
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 1時間ほどの航海の後、ようやくタキーレ島が見えてきました。
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 タキーレ島に到着。プーノ付近はあまり水質は良くありませんでしたが、この辺になると結構きれいです。地球の歩き方によると、タキーレ島は、電気も水道もなく、人々は昔ながらの生活をしているとのことです。
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 ガイドさんを先頭に、どこへ向かっているのかもわからずに歩いて行く。この付近は標高が3,800メートルぐらいあり、ちょっと歩いただけでもすぐに息が切れてしまう。しんどかった。
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 息が切れてヒーコラヒーコラいいながら歩いているツアー客をよそ目に、地元の女の子が素晴らしい速さで抜き去って行く。ちなみに、正面から島の住民の写真を撮るとチップを要求されるらしい(白人のオッサンが要求されているシーンを見た)ので、ワルの一発朗は後ろから隠し撮りです。
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 旅情を感じさせてくれる風景です。
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 しばらく歩いた後、タキーレ島の中心部に到着。すると、タキーレ島から世界各地の大都市への距離を示す構造物を発見。東京(TOKIO)へは、16,335kmだそうです。我ながら遠くへ来たもんだ。余談ですが、地球の歩き方には「島には歯医者さんがいないので、子供達にアメをあげないように」と書いてありましたが、町にはアメやコーラが売っているし、実際にアメをなめている子供もいました。
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 島のレストランで昼食を食べた後、最初に着いたところとは違う船着き場へ。途中の階段には、石でできた門がありました。地球の歩き方やLonely Planetに載っている有名なもので、写真のチップねらいで子供がたむろっていました。ワルの一発朗は、気づかれないように撮影しておきました。この後、プーノへ戻る。
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 プーノのホテルの繁華街で夕食を食べた後、ホテルでごろごろする。この時間になると、I井氏の日焼けの症状がひどくなって痛そうだった。とりあえず、次の朝も早いので寝る。
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8月22日 アレキパ

この日は、ペルーで二番目に大きな町であるアレキパ(Arequipa)への移動日。朝食を食べた後、バスターミナルへ行く。
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 アレキパ行きのバスに乗り込んで、ふと外を見てみると、服を着せられている犬がいた。日本だけではないんだね。
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 出発後、バスは丘を登って行き、プーノの町が一望できた。さらば、プーノよ。
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 途中、雑然とした町フリアカを経由し、一路アレキパへ向かう。景色は、荒野といった感じです。
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 途中で、リャマを発見。このころになると、一頭ぐらい日本に持ち帰りたくなっていたりします。
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 高い山が見えてきました。アレキパ周辺には、標高6,000メートルを超える山があるとのこと。
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アレキパ(Arequipa)

 プーノを出発してから約6時間後、ようやく、アレキパのバスターミナルに到着。
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 バスターミナルでタクシーをつかまえて、町の中心部へ向かう。このタクシー、古いアメ車でいつ壊れてもおかしくなさそうだし、運転手のじいさんは手が震えているように見えるし、ちょっと不安だった。
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 無事にアレキパの中心、カテドラル前のアルマス広場へ到着。アレキパのアルマス広場周辺は、世界遺産に登録されている。広場沿いにあるホテルをとって、少し町をふらついた。
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 アレキパの町の中心は、白いアーチ状の回廊で特徴づけられている。標高は2千メートル台で、クスコやプーノで苦しめられた高山病も消えてなくなった。気候も快適で、この町を気に入りました。
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 アレキパに到着したのはすでに夕方近かったので、名所をまわることはできなかった。しかし、カテドラルは入れたので、入っておいた。中には懺悔室みたいなところがあり、坊さんに何かを告白してらっしゃる方々がおられたのが、印象的だった。
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 カテドラルの後、近くを流れているチリ川(Rio Chili)を見に行く。ずっと先に標高6,075メートルのチャチャニ山(Nv.Chachani)が見える。なかなかいい景色だ。
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 川にかかる橋の近くに、馬に乗っている兄ちゃんが出没しました。この後、アルマス広場の方へ戻る。
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 アルマス広場の近くにCD屋があったので入ってみると、強烈なジャケット絵のCDを発見。衝動買いしてしまいました。価格は200円以下。このCDは、トルコ編へ一緒に行ったI藤氏に贈呈することが決まっております。
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 ホテルで少し休んだ後、アーチ状の回廊の二階にあるホテルのレストランで夕食を食べました。酒は、高山病のためにクスコやプーノでは控えていたのですが、ここでようやく飲むことができました。
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 写真のように、カテドラルの夜景が素晴らしかったです。満足なり。この後、疲れていたので寝てしまう。
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8月23日 ミイラ・アルゼンチン肉てんこもり

この日は、ツアーに参加していなかったため、久しぶりに朝遅くまで寝ることができた。朝食を食べた後、アレキパ名所のサンタ・カタリナ修道院(Monasterio de Santa Catalina)へ行く。
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 サンタ・カタリナ修道院は、1579年から1970年まで400年近く、外界との接触を断った修道院生活が行われていたとのこと。中はまるで迷路のようになっています。
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 白い壁に、真っ赤な花が飾られており、綺麗でした。
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 修道院の中にある高いところに登ると、昨日見たチャチャニ山(左)とミスティ山(右;Volcan El Misti)が見えた。ミスティ山は標高5,821メートルの火山で富士山と形が似ており、個人的に心の中で「アレキパ富士」と名付けていました。
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 修道院の後は、アンデス聖地博物館(Museo Santuarios Andinos-UCSM)へ行く。ここは、アレキパ北部にある標高6,288メートルのアンパト山(Nv.Ampato)の山頂で見つかった、神への生け贄として捧げられたと思われる少女のミイラが保存されている。中は写真撮影禁止。骨格等の調査によると美少女だったとのことですが、やっぱりミイラはミイラ。きつかったです。
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 ミイラの後、近くにあったスーパーへ行ってみる。すると、「3.250リットル」ととんでもない量のコーラが、大量に売られているのを発見。ペルー人は、コーラなしでは生きられないみたいです。
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 次は、アレキパの町はずれにある、ラ・レコレータ修道院・博物館(Convento-Museo La Recoleta)へ行く。
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 ラ・レコレータ修道院・博物館で面白かったのは、アマゾンに関する展示。アマゾンの先住民へキリスト教を布教しようと、大勢の修道士がアマゾンへ行ったそうです。
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 予想通り、この写真の絵のように、先住民に矢で射られて殺された方々もいらっしゃったそうです。
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 貴重な、アマゾン先住民とのふれあい写真もありました。
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 最後に、町の中心部にあるラ・コンパーニャ教会へ行く。
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 中には見事な壁画がありました。
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 アレキパ最後の想い出にと、アルゼンチン料理の店にいきました。肉の盛り合わせを頼んでみたら、写真のように、恐ろしい量がでてきて困りました。一発朗は途中で気持ち悪くなってしまったので、I井氏に頑張って食べてもらいました。このあと、バスターミナルへ向かう。
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バスターミナルに着いてバス会社のカウンターに行くと、我々の乗るバスの乗り場はこの建物にはないと言われた。すると、同じくカウンターにいた日系人の若者が、親切にも乗り場まで案内してくれた。この若者と少しだけ話をした。群馬県にいる親戚へ電話をかけようとすると、いつもオペレーターのところでコインが切れてしまうので話せたことがないというので、オペレーターを介さない電話の仕方を教えておいた。バスに乗る時間が迫っていてあまり時間がなかったので、一緒に写真を撮ることができなかったのが悔やまれる。旅行の想い出は、なんと言っても人とのふれあいですからね。そして、夜行バスに乗り込み、次の目的地ナスカへ向かう。


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